艦これ 羽黒 聖地巡礼 [聖地巡礼]

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燃料、食糧、水の全てがギリギリだった夜が明けました。

燃料があと僅か.jpg

2017年5月某日。

この日は出羽三山神社に向かいました!

そうだよ。

いつもの聖地巡礼だよ。

艦隊これくしょん『艦これ』の登場人物でもあり、当時の海で暴れまわった史実の軍艦

重巡洋艦 『羽黒』の艦内神社となったのがこちらの神社なのですよ。
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随神門.jpg
随神門を潜ると神聖な空気が僕の身を包みます。

ここからが素晴らしく・・・・キツイ!.jpg
ここから社殿までが地獄の様にキツイのです。

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五重塔

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ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで紹介された杉並木の石段は山頂まで2446段、約2kmの

道のりとなります。

羽黒山の石段2446段 約2キロ.jpg

杉並木.jpg

途中の二の坂茶屋で一息つきましょう。
二の坂茶屋.jpg

御抹茶がおいしい.jpg
力が湧いてくるぜ!

遠く庄内平野を眺めているとこれをもらいました
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レオナルド・ディカプリオ殿だなんて.jpg

33ある絵の内、18個を見つけると願いがかなう.jpg
石段を歩いているとこんな絵を発見しました。

参道には33個の絵があるらしく、うち18個を発見すると願いがかなうんだって。

え・・・・山頂付近でいくつか見つけただけやけど?

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とても静か.jpg
山頂近くには斎館と言う宿坊もあります。

宿泊の際には精進料理を頂くのもいいですね。

最後の鳥居を潜れば拝殿が見えてきます。
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茅葺屋根のメンテナンス中じゃったp(´⌒`q)

月山、羽黒山、湯殿山をお祀りした三神合祭殿。
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古く修験の場として繁栄してきた面影を今に伝えています。

拝殿の萱葺は厚さ2.1mにもなる重厚な物。

萱葺の構造物としては日本最大。

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鐘楼も立派!

自分の金運を第一についでに世界の平和を祈った出羽三山神社 聖地巡礼。
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下山した後は美味しい物を頂きます。
こちらのお店で頂きます.jpg
山形と言えばコレ!!
山形県民熱愛のたまこん.jpg
ソウルフードたまこんにゃくヾ(≧∇≦*)/

と言いたいけど、体質的にこんにゃくだけはだめなのです(இдஇ; )

なのでこちらで(´∧ω∧`*)
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麦きりです。

そうめんとうどんの中間のような太さ。

シンプルなうまさがたまんねぇぜ。




最後に史実とゲームでの彼女をごちゃ混ぜにしてご紹介♪

重巡洋艦 羽黒
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羽黒です。妙高型重巡洋艦姉妹の 末っ娘です。あ、あの…ごめんなさいっ!

名前の由来は山形県の羽黒山から。

彼女の誕生日は1928年3月24日(進水)

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長崎で生まれた彼女の艦内艤装はそれまで、イギリス様式が色濃く表れていた日本軍艦勢に比べ

日本色を出したものとなった。

第五戦隊の中心的存在で大戦初期から海軍最後の水上戦まで戦い抜いた武勲艦であり幸運艦。

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ゲームでは遠慮がちでおどおどしたキャラクターで4姉妹の中でも幼さが残る容姿。

俺提督的には護って上げたいキャラNo1なのですが、いぢめてオーラを鋭敏に嗅ぎ分ける

鬼畜提督の諸君は中破グラフィック固定で秘書艦にして遊んだのは

1度や2度ではないはず。

背後の気配と音量には気を付けろよ。

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おい!誰だ!!執務室に布団を置いたやつは!!

分かってるジャマイカ

私より、あの娘を先に…

入渠や改装では他の艦娘を優先させてほしいなど大人しい彼女も

戦闘となれば頼もしいセリフもチラホラ。




史実の重巡洋艦 羽黒はと言うと幸運艦でありながら大戦初期~大戦末期までを戦い抜いた武勲艦

全砲門、開いてください!

最前線での先制攻撃や迎撃を担う部隊『第二艦隊』

重巡洋艦 羽黒はそんな真っ先に敵の脅威に曝される艦隊に所属していた。

旗艦を務めたことこそ少ないものの、スラバヤ沖海戦では姉の那智と共に

敵ABDA艦隊を追撃。オランダ軽巡洋艦デ・ロイテル及びジャワを撃沈し

イギリス重巡洋艦に直撃弾を喰らわし撃沈に追いやっている。

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初の4姉妹そろっての戦い




珊瑚海海戦

次女那智が北方方面へ転出後も長女の妙高と共に南方での任務を遂行する羽黒。

珊瑚海海戦では主に航空戦となったため目立つ活躍は出来なかったものの、水上偵察機を射出し

艦隊の眼となっていた。
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羽黒と那智所属水上偵察機・・・・ちょっと古い機体だけど。




ミッドウェー海戦

日本海軍が主力空母4隻を立て続けに失い艦隊は撤退を余儀なくされた。

ところで羽黒くん。

僕たちこのまま撤退しなきゃいけなくなっちゃったんだけど、敵に背中を見せるのはちょっと

怖いんだよね。

妙高おねぇちゃんと一緒に殿(しんがり)頼める?

貴方たちの背中は、私が守ります!

け・・・・健気だ(涙)

この戦争のターニングポイントとなった戦いで羽黒は殿(しんがり)となり

太平洋のど真ん中のウェーク島で偽の電文を流しながら数日間に渡り一生懸命走り回ることになる。

本格的な追撃があったらヤバかったな。




ブーゲンビル島沖海戦

ソロモン諸島での戦闘が激しさを極める中、妙高、羽黒は同島への上陸を計ろうとする輸送船団の

撃滅の為出撃。

これを阻止すべく対抗するのが第39任務部隊。






艦隊の動きを逸早く察知したのは高性能なレーダーを使っていた米軍であった。

羽黒が所属する第五戦隊も16000mの距離で敵を確認し

日本海軍初の照明弾で暗闇を照らしての砲撃。

戦闘状態に移行した第五戦隊。

綺麗に陣形を組んでいたが、夜闇の中での回避運動は至難であり、陣形が乱れ艦艇同市の衝突が

相次ぎ場は混乱した。

その騒動の中にいたのが長女の妙高だった。

彼女は駆逐艦の初風と衝突。

初風は船首を失い、妙高は速力が低下した。

これを目の前にした羽黒は自身が壁となるべく妙高の前に出る。

砲撃が羽黒に集中する中、速度を取り戻した妙高は戦列に復帰。

日米共に縦並びとなる単縦陣による同航戦の形になり、全砲門が火を噴きあう真っ向勝負となった。

レーダーを使い敵を補足し、各艦を有効に働かせ射撃を行う第39任務部隊に対し

艦一隻、一隻の戦闘能力に頼り奮戦する第五戦隊。

特に妙高と羽黒の砲撃は夾叉弾を連発し、日本側にもレーダー射撃能力があるのではと

疑わせるほどだった。

この戦闘で米巡洋艦デンバーに3発命中させるがすべてが不発。

しかしデンバーはこの被弾で浸水し速力が低下。

一方、羽黒でも6発の被弾を受けるも幸運なことに4発は不発で轟沈を免れている。

この時点で周辺海域は照明弾と吊光弾の光を反射させた雲の影響で不気味な薄明りとなっていた。
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はい。もう少しで轟沈するところでした



これまでの戦いで軽巡洋艦 川内及び駆逐艦初風が沈没。

米艦隊は衝突や被弾による損害はあるものの沈没はなし。




この状況を鑑み必要以上の危険を嫌った第39任務部隊は煙幕を張り一時距離をとり、

第五戦隊はこの戦闘の要となった照明弾も尽き、翌朝からの空襲を恐れ撤退。

ブーゲンビル島沖海戦は日本海軍の敗北で幕を閉じた。




日本側の戦闘指揮について賛否あるものの、羽黒、妙高共に自分より高度に発達した敵を相手に

勇猛果敢に立ち向かい互角の戦いを繰り広げたことをモントピリアの乗組だった

ジェームズ・J・フェーイー氏も高く評価していたようだ。




陸海軍9万人がひしめくラバウル要塞は連合軍に包囲され度々空襲を受けていた。

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1943年11月2日

ブーゲンビル島沖海戦から帰還した直後の第五戦隊。

ラバウルには敵攻撃機約200が押し寄せた。

強力な対空砲火と迎撃機を警戒した連合軍は高高度から陸上施設や艦艇めがけて

爆弾を投下していくなか、羽黒が停泊していた場所は敵機侵入経路から陸上施設を挟んでいたため

自分に向かってくるほとんどの機体は爆弾を抱いていなかった。

幸運なことにほぼ損害の出なかった羽黒に対し、姉の妙高はタービンに亀裂が入る損害を被った。

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ラバウルにて空襲をうける羽黒




ブーゲンビル島沖海戦の傷を癒すため、第五戦隊は一路佐世保を目指す。

ここでも幸運なことに、出航翌日にラバウルは再び大空襲を受けていた。




約1か月の修理を終えた羽黒は妙高と共に陸軍兵のカビエン輸送を命じられる。

揚陸作業の遅れから、敵機に発見され空襲を受ける寸前であったが幸運にも猛烈なスコールが

見えたため、その中に逃げ込こんだ。更に幸運な事に、そのスコールは羽黒が逃げる方向と

同じ方向へ進んでいたため、長時間隠れることが出来、難を逃れた。

この頃から、乗員の間で幸運の艦羽黒が合言葉となる。




トラック島空襲直前に出航。事なきを得る。
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空襲中に撮影されたトラック島.jpg

さらにその避難先のパラオ大空襲は、共に事前に察知して出航し、難を逃れている。
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羽黒は他の艦と共にはるか西方のリンガ泊地へ後退した。





1944年5月末、ビアクに上陸した米軍に呼応して連合艦隊は渾作戦を発動。

ビアク島守備隊支援のための逆上陸。また、米主力艦隊をパラオ付近に誘い出し決戦を挑むため

羽黒もこれに参加し兵員輸送の警戒隊に参加するが、無駄に重油を消費し貴重な戦力が

削がれるだけの作戦を行っているうちに、米機動部隊はマリアナ諸島に来襲。

連合艦隊は渾作戦を中止し、羽黒にも直ちに本隊合流の命が下った。

絶対国防圏を巡る熾烈な戦い。

マリアナ沖海戦の幕開けである。



1944年6月19日

羽黒は空母大鳳の直衛として輪形陣の一角を成した。

7時25分から13時40分に至るまで日本海軍は艦載機による攻撃を6回にわたり実施しているが

送り出した攻撃機の大半は撃墜され未帰還のままという大損害を被った。

航空隊の動きとは別に

8時10分

大鳳が米潜水艦アルバコアの雷撃に遭い、発射された6本の魚雷のうち1本が命中した。

この時点での損傷は修復可能で戦闘続行できるものであった。

11時20分。

日本の艦隊に接近していた米潜水艦カヴァラが発射した4本の魚雷が正規空母翔鶴に命中。

翔鶴は14時10分に沈没。

14時32分には大鳳が突如大爆発を起こし、16時28分に沈没した。

脱出した小沢長官や古村参謀長を収容し、一時的に艦隊旗艦を務めた。

しかし、羽黒の設備では通信能力が不足するため、機動部隊司令部は結局瑞鶴に移った。




大鳳沈没後の翌6月20日

米機動部隊から発進した航空機216機からの攻撃を受ける。

羽黒は対空砲火で敵機を5機撃墜。艦自身は大した損害を受けていないが、

羽黒乗員に戦死者は若干出ている。

また、この空襲で迎撃に飛び立った零戦23機が撃墜され、

商船改造空母飛鷹、逃げ遅れた補給艦2隻が航行不能になり自沈処分された。

艦隊は夜戦に突入すべく東進していたが、作戦中止の命を受け北西に変針した。




レイテ沖海戦

羽黒は第一遊撃部隊第一部隊第五戦隊に所属

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10月23日0時、パラワン水道の入り口に達する。

ブルネイ泊地を出撃した翌10月23日6時33分、バラワン水道にて潜水艦の襲撃を受ける。

愛宕が沈没し、高雄が自立航行出来ないところまで追いつめられ第四戦隊は壊滅。

6時57分

羽黒にも5本の魚雷が向かってきた。とっさの操艦によって前の4本をうまく回避し、

回避不可能と思われた1本も幸運な事に直前で水面航走を始めて速度が落ちたために回避できた。

しかしその魚雷が、そのまま後続にいた摩耶に命中、轟沈させている。
1944年10月23日黎明。旗艦愛宕被雷時の第一遊撃部隊第一部隊の隊形.svg.png




10月24日

シブヤン海では熾烈な対空戦闘を行っている。

10時26分より始まった攻撃は6度に亘り絶え間なく行われ、これにより妙高は大破撤退。

羽黒が戦隊の旗艦を務める。











翌10月25日のサマール沖海戦では、護衛空母6隻、駆逐艦7隻からなる護衛空母群タフィ3に向かって

全軍の先頭で突撃した。延べ100機にも及ぶ敵機の妨害と護衛駆逐艦の必死の反撃で

熊野、鈴谷、筑摩、鳥海が被害を受け落伍していく中、第二砲塔に爆弾を受け中破するものの、

他に唯一落伍しなかった利根、単独で進撃してきた金剛と共に護衛空母「ガンビア・ベイ」を撃沈、

同じく「ファンショー・ベイ」「カリニン・ベイ」に損傷を与え、

駆逐艦「ホエール」「「サミュエル・B・ロバーツ 」を撃破し、最もレイテ湾に肉薄している。

早朝、輪形陣を形成中の艦隊は、遠方に敵の空母群らしきマストを発見した。

皆、これを正規空母からなる高速機動部隊と誤認。一刻を争うとの判断から隊列整形を捨て、

まずは重巡戦隊、ついで戦艦戦隊に突撃が命じられた。残燃料に不安のある水雷戦隊は

重油を浪費せぬよう待機。羽黒は漸次増速、鳥海を率いて突進した。

羽黒らにとっても予期せぬ会敵だったが、タフィ3にはまさに青天の霹靂であった。

煙幕を張り、護衛の駆逐艦に重巡の足止めを命じ、艦載機を手当たり次第放って妨害に当たらせ、

周囲のスコールを隠れ蓑に全速力(といっても17.5ノット)で逃走にかかった。

羽黒は突撃しながら大いに暴れ回り、主砲の20cm砲弾を9割以上も発射。

当時の砲術長は帝国海軍最高射弾数の記録を塗り替えている。羽黒も反撃で爆弾2発、

駆逐艦の主砲直撃、機銃数千発の被害を受けており、当時の戦いの激しさが想像できる。

また、直撃と思われた敵の航空魚雷が深すぎたせいで、船の真下を通過していくという幸運に

恵まれたおかげで無事に帰還を果たしている。

鳥海とともに敵空母へ砲撃中、突如飛来した敵機により2番砲塔に爆弾が直撃する。

天蓋には大穴が開き、殆どの砲員が死傷し或いは気絶した。注水は遅れ、あわや陸奥の二の舞寸前と

なるところまでいったものの、幸運にも一人の若い水兵が意識を取り戻し、たった一人で冷静に事態

に対処したために事なきを得た。

歴戦を戦い抜き高い練度と技量をほこる羽黒の乗員であったが、

この一発は止むを得ないものがある。敵機の行動から爆弾や魚雷を粗方発射し終えたものと判断され

たため、被弾を覚悟で敢えて回避を一切せず、少しでも距離を詰めるべく

一直線に突撃していた最中に落とされたものであった。

対空と対艦を同時にこなさなければならない難しく危険な戦闘であったが、

杉浦艦長は時折笑みを見せることすらあったという。

遮二無二突撃した結果、羽黒は大きく突出し、味方は水平線の彼方に戦艦のマストの先が

見えるのみであった。周囲には羽黒と利根の2隻以外おらず、

執拗に喰らい付く羽黒に攻撃が集中しつつあった。これを見た利根は大きく転陀し、

敵の攻撃を分散させるべく自ら羽黒の後方に付いた。

いよいよ追撃戦も大詰めと見えたそのとき大和より集合命令が届いた。

已む無く戦闘を中止し、未練を残す利根を連れ反転した。

羽黒たちの攻撃を受け、危機に陥ったアメリカ第7艦隊の護衛空母群の1つ(タフィ3)が、

第34任務部隊*29に救援を呼んだが、幸運なことに、この要請は取り合われなかった。

さらに幸運なことに、状況を見かねたハワイのニミッツ提督が発した電文に指揮官の

ハルゼー提督が大激怒。

憤怒のあまり延々とこの電文にこだわり罵り続けたため増援の派遣が一時間も遅れ、

結果、羽黒たちは増援部隊に会わず無事シブヤン海へと脱出した。

艦隊が突入を取りやめ、北方にいると連絡を受けた敵艦隊の追撃を開始した栗田艦隊は、16時過ぎに

友軍機の大編隊と遭遇する。これは昼に栗田艦隊が発信した「ヤキ1カの敵を攻撃されたし」の

無電を受けて出撃した第二航空艦隊の攻撃隊であった。作戦開始以来初めて見る友軍機の編隊に

艦隊将兵は勇気づけられたという。ところが直後の16時40分、栗田艦隊は米軍機の空襲を受け応戦、

一方の第二航空艦隊の攻撃隊は目標を見つけられず、それどころか米軍機の迎撃を受け四散する。

その時、必死に敵艦隊を探す99式艦爆の一隊が空襲を受ける栗田艦隊を視認。

ところがそれを「攻撃隊の空襲を受ける米艦隊」と思い込み、なんと米軍機と一緒になって

栗田艦隊を攻撃、悪い事に目標となったのは羽黒だった。

幸いこの爆撃は命中する事はなかったが、栗田長官は直ちにこれを通報、同時期退却する

熊野でも誤爆騒ぎが発生しており、基地航空隊側はこれを受け当日の航空攻撃を全て

取り止めてしまった。




あくる10月26日、シブヤン海を西へ西へと退避する栗田艦隊に米機動部隊が追撃を加えてきた。

艦隊は大和を中心に輪形陣を敷いて応戦するが、一昨日シブヤン海を東進したときに比べ、その数は

ほぼ半減していた。

この日も朝から敵の索敵機が姿を見せ、その後の大規模な空襲を予感させた。.

触接機が姿を消して間もなく、約30機の敵機が現れ上空に殺到、攻撃を開始した。

羽黒の記録では14回目となる対空戦闘の始まりである。

空襲が始まると敵機の数はあれよあれよという間に増えていき、仕舞いには80機にもおよぶ

大群となった。羽黒にも艦尾方向から急降下爆撃機の小隊が襲い掛かってきたが、連日の対空戦闘で

鍛え上げられた機銃群がこれに素早く砲火を集中。投下された爆弾も回避し、

その後さらに敵機1機を撃墜。この空襲も無事に切り抜けた。

一方で輪形陣の先頭を走っていた能代が集中攻撃を受け、奮戦空しく被雷、落伍していった。

左に傾斜し、羽黒の右後方に遠ざかっていくその姿は、一昨日同じ海で落伍した妙高を

連想させたという。

取り残された能代が第2波の攻撃を受け最期を迎えている頃、先行する本隊はB-24の大編隊による

重爆撃を浴びていた。羽黒15回目の対空戦闘である。羽黒がはじめて経験する大型機の水平爆撃は、

予想外に空母機の爆撃よりも回避の余裕があったという。

しかし多数の500Kg爆弾が作りだす水柱は凄まじく、その振動は不気味に羽黒を揺さぶり、

吹き上げられる無数の弾片は乗員の脅威であった。幸い被害は殆んど無く昼過ぎには敵機も去り、

これが本海戦最後の空襲となった。

夕刻、島風、浦風など燃料の枯渇した駆逐艦が分離したため、艦隊の駆逐艦は雪風、

磯風のみとなった。その2隻も翌10月27日には燃料が尽きかけ、それぞれ榛名、長門から給油を

受けた。

羽黒と利根は駆逐艦に代わり、給油中の無防備な艦隊の警護にあたった。


ブルネイに艦隊として帰還できたのは羽黒を含めわずか9隻。各艦が何らかの損害を抱えていたが、

羽黒は2番砲塔以外全力発揮可能であった。栗田艦隊で最後まで戦闘力を保持した唯一の重巡だった。




帰投後のブルネイ湾では連絡役として沖に一隻で待機しているところに敵機が来襲。

単艦の羽黒に敵機の攻撃が集中するが、見事な操艦でこれを交わして生き延びている。

レイテ沖海戦の後、羽黒は南西方面艦隊に編入された。多くの艦が修理のため本土へ帰還する中、

充分な戦闘力を保持していた羽黒は反撃に備え南方に留め置かれたものと思われる。

昭和19年の年の暮れ。羽黒は姉の妙高救援に出動した。本土へ回航中、

潜水艦の雷撃で大破したのだ。サイゴン近海からシンガポールにかけては敵潜水艦の多い危険海域で

あり共倒れを心配する声もあったが、多数の海防艦、哨戒艇の援護もあり、妙高を曳航し

無事シンガポールまで連れ帰った。妙高が生き残れたのは羽黒のおかげと言っても過言では無い。

1945年(昭和20年)、年が明けて、それまでずっと所属していた第二艦隊から南西方面艦隊に

編入された。この時、臨時に大淀が第五戦隊に加わり、短い間であるが北号作戦で大淀が四航戦らと

共に本土に帰還するまで2艦で隊を組んでいる。

同年2月5日に、新設された第十方面艦隊に組み込まれ、足柄とのコンビで第五戦隊を編成。

シンガポールを拠点に行動した。第十方面艦隊は独立艦隊であり、

そこの主力重巡といえば聞こえはいいが、この頃すでに本土と南西方面は米軍に分断されており、

連合艦隊の置き去り宣言に等しい。

南方は資源に余裕はあったが設備が無かった。海軍の一大拠点であるシンガポールも、

度重なる空襲でその機能を失いつつあり、もはや羽黒は満足な修理も補給も受けられなかった。

羽黒は前の戦闘の怪我を我慢しながら、姉の足柄と共に訓練に励み、輸送任務をこなし、

勢いを増しつつある英海軍に対峙した。




大戦末期、羽黒はシンガポールにあった。ドイツを降し、対日戦に本腰を入れ始めた英軍の勢力は

日に日に増しており、劣勢の日本軍は兵力を集中させる必要が生じた。その動きの一環として、

羽黒にインド洋アンダマン諸島に物資を輸送、一部の人員を引き上げさせよという命令が下った。

この方面でまともに動ける艦は羽黒、足柄、

旧式駆逐艦の神風の3隻のみとなっており、

貴重な海上戦力であった。

輸送船ももはや無かったため、大型艦である羽黒に

白羽の矢がたった。

この時の羽黒の状態はとても良いとは言えなかった。

本土との連絡が断たれたため、充分な補給や修理は

受けられない。

先のサマール沖海戦での第二砲塔損傷、

セレター軍港での触雷による水面下の損傷、

更にその後英空母「シャー」による空襲を受け、

これらの被害を抱え込んだままの、

ほぼ中破状態であった。

少しでも積載量を稼ぐため、酸素魚雷と発射管は

撤去され、主砲の弾薬は定数の半分に減らされた。

甲板には燃料を入れたドラム缶を満載、艦内も食料、

医薬品、小銃弾などが所狭しと積み込まれた。

軍艦としてはまさに手足を縛られた状況であったが、

『重巡』羽黒最後の奉公ということで乗組員の士気は

高かったという。

護衛に神風を伴い、羽黒は最期の航海へと出発した。

しかし、その日のうちに潜水艦に発見されており、

羽黒の行動は英海軍の知るところとなった。

この輸送任務の妨害および掃討作戦のため、

戦艦「クイーン・エリザベス」を旗艦とし

第21護衛空母群や第26駆逐隊などからなる

第61部隊はアンダマン・ニコバル諸島方面に展開を

始めた。

羽黒は慎重に行動した。引き返して見せたり

偽装航路をとるなどし、敵の目を欺こうとした。

しかし、潜水艦の奇襲やB-24の接触、

味方哨戒機による敵艦隊の情報から、

英軍に付け狙われていると察した橋本司令官は

作戦中止を決意。

反転してシンガポールへ引き返すことにした。

深夜午前2時頃、ペナン沖。

羽黒の電探は近づいてくる影を捉えた。

すでに味方の勢力圏内であり、これが敵だとすぐには

認識できなかった。作戦中止で緊張が解けていたのも

災いした。近づく艦影が敵だと気づいた時には、

もはや近距離まで踏み込まれていたのである。

夜戦を挑まれた羽黒は果敢にも打って出た。

懐に入り込まれていたこともあるが、

敵は駆逐艦であり、重巡の火力と足があれば

振り払うことも不可能ではないはずであった。

だが、積み込まれた物資と蓄積していた損害が羽黒の

動きを縛っていた。特に甲板高く積まれたドラム缶は

主砲の旋回を妨げ、艦内深く残る損傷は羽黒に

高速発揮を許さなかった。

羽黒を捕捉したのは英国海軍第26駆逐隊所属の

最新鋭駆逐艦「ソマレズ」「ヴィラーゴ」

「ヴィーナス」「ヴェルラム」「ヴィジラアント」の

5隻であった。昼間、真正面から重巡と撃ち合うのを

避け、日が暮れるのを待ってから大胆にも

マラッカ海峡に侵入してきたのである。

甲板のドラム缶を投棄しつつ漸次増速、

探照灯を照射し主砲を旋回させるが尽く後手に

回っている感は否めなかった。

それでも二斉射目が「ソマレズ」に命中し、

火柱を上げる。だが、直後に魚雷1本が羽黒の前部に

命中。この一撃で羽黒の電源が停止、

全機能が麻痺してしまった。

さらに甲板に積み上げられたドラム缶の燃料に引火、

大火災発生。

闇夜の松明となった羽黒を敵艦は取り囲み、

さらに砲火を集中させた。
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後続の神風は、この状況を見て形勢不利を悟り戦闘を

断念、断腸の思いで煙幕を展張しつつ全速力で

離脱した。

この時、羽黒のほうでも神風に離脱するよう命令が

出ていたのだが、全電源が停止していた羽黒には

伝える術がなかった。

断末魔の様相を呈しつつある羽黒だったが、

その闘志は一向に衰えていなかった。火だるまになり

大きく傾きつつある中、人力操舵で艦のコントロールを

取り戻し、一部電源を復旧させ、生き残った砲は

周囲の敵艦に射撃を続けていた。

しかし、2本目の魚雷を機関室に被雷ついにその動きは

止まった。

この時点で退艦命令が出るが、直後に敵弾が艦橋を

直撃、司令部が壊滅してしまう。だが一部のもは

退艦命令を拒否。ここを死に場所と考え、

高角砲を人力で動かして戦闘を続行した。

行き足を失い、電源は破壊され、

指揮系統も寸断された。火災はなお激しく、

四周から打ち据えられた艦上構造物は、

まさに削り取られるかのごとく破壊され廃墟と

化していく。それでも羽黒は撃ち返した。

しかしいくら頑張ろうとも、もはや大勢は決していた。

午前3時33分に4発目の魚雷が命中。

停止してから約1時間。傾斜し、火災を発し、

加速度的に累加する被害にのたうちながら尚も激しく

戦闘を続けた羽黒だったがこの一発でついに力尽きた。

同乗していた

第五戦隊司令官橋本信太郎中将、

艦長杉浦嘉十少将以下およそ800名が艦と

運命をともにし、

艦尾を高々と上げて美しいペナン沖へと没していった。

大火災の劫火を背負い、雨のごとく浴びせられる

集中砲火の中からなお反撃する羽黒を見た神風乗員は、

その様をまるで阿修羅の如しと評し、英軍は戦後、

最後の最後まで撃ち続けたその闘魂を絶賛、

交戦した英国司令官をして日本海軍の精華なりと

称賛せしめている。

その後、ペナン港で燃料補給と損傷の応急処置を

済ませ、味方航空機の先導を受けつつ全速力で

引き返してきた神風により320名が救助された。

また、英軍側もカッターを出して生存者の

救出をしている。羽黒の沈没により、

シンガポールで健在な艦艇は、足柄と神風の

2艦のみとなった。

ペナン沖にただ一人沈んだ彼女だが、

元乗員の手記にはこう記されている。

「この作戦後、羽黒は浮き砲台になる予定だった。

スラバヤ、バタビヤ、ミッドウェー、ソロモン、

ブーゲンビル、サイパン、レイテと羽黒は海の

勇者とともにあったと思った。単なる鉄の塊でなく、

羽黒はしだいに魂を持つようになったと。

セレター軍港奥深く着底して、死に体のようになって、

朽ち果てることをいさぎよしとしなかったように

思われた。生ある者のように、魂ある者のように、

青く澄んだ印度洋の海原に躍り出てきたとしか

思えなかった」と。




沈没後、約60年間静かに眠り続けた羽黒が一人のダイバーに発見された。

甲板を上にして海面下66mから光を望んでいた。
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すーやん

ボリュームが凄すぎです!
by すーやん (2018-09-17 19:30) 

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