艦これ 名取 聖地巡礼 [聖地巡礼]
2017年5月
宮城県の仙台に来ております。
今日は『艦これ』に登場してくるキャラクター『名取』の聖地巡礼なのです。
青葉神社。
同ゲームには重巡洋艦『青葉』って出てくるけど、『名取』の聖地です。
『名取と言います。ご迷惑をお掛けしないように、が、頑張ります!』
軽巡洋艦 名取
かつて日本帝国海軍の艦艇として実在した軍艦で、その名は宮城県を流れる名取川から付けられた。
1922年2月16日生まれの彼女は、長良型六人姉妹の三女。
大正時代に数多く建造された5500トン級の一人で長女『長良』『五十鈴』『名取』を含め、
妹達に『由良』『鬼怒』『阿武隈』と賑やかな家庭環境で育っている。
性格も至って控えめでやっぱり姉妹達により、上から下から圧力がかかる為であろうか?
解るよ、その苦労(血涙)
しかしながら、『名取』の完成当初は高速軽巡洋艦と言うこともあり、水雷戦隊の旗艦として
海を駆け回る。
建造当初、素早さが売りの彼女は金魚すくいが得意なのか夏祭りでしっかり健闘した様子が伺えます。
けれど、この夏グラ。
よく見てみると金魚以外にも、変な物を捕まえたようです。
深海棲艦?
この青葉神社の分霊を祀っていた軽巡洋艦『名取』ですが
名取の神様はあの戦国乱世に名を刻んだ伊達政宗と言うことになります!
かっけぇぜ!
恒例のイタ絵馬探し
あった!
描いてくれてありがとーっ( ≧∀≦)ノ
略艦歴
『て、敵艦見ゆ!・・・・って、ホントに実戦!?』
1941年4月
日米関係の決定的な決裂の要因となった南部仏印進駐作戦に参加。
12月10日
フィリピン諸島のアパリでB-17の攻撃を受け、至近弾により損傷し、多数の死傷者を出したが
12月22日のリンガエン湾上陸作戦に従事。
12月31日より第二次マレー部隊に編入された。
1942年3月1日
バタビア沖海戦にて米重巡洋艦『ヒューストン』撃沈に貢献。
3月10日
第2南遣艦隊第16戦隊の旗艦となり東インド方面の警戒任務を行った。
1943年1月9日
アンボンへ向かう途中、米潜水艦『トートグ』の雷撃を受け後部を損傷。
その際、名取は14cm砲でトートグの潜望鏡を破壊し撃退している。
名取はアンボンで修理を行うも、同月16日、21日にB-24の空襲を受け、至近弾により再び損傷を受けた。
度重なる攻撃と負傷のため、護衛されつつマカッサルへ後退するも、再来したトートグによる
攻撃を受ける。
この時も名取は14cm砲で水面を撃ちまくり、追い返している。
マカッサル、シンガポールを経由した名取は、舞鶴港へと帰還。
1年と3ヵ月の改造期間を経て改装し、2機の主砲と引き換えに
高角砲や対空機銃を増設。
修理と改装を終えた『名取』は訓練、輸送任務を遂行する。
1944年6月
マリアナ沖海戦にて、機動部隊の補給と護衛を行う。
8月8日
フィリピン諸島からパラオに輸送任務を行っていたところサマール島東方水域で
米潜水艦ハードへっどの雷撃を受け直撃弾を食らう。
『名取』は損傷直後にも関わらず発見した潜望鏡に対し、高角砲と機銃を即座に連射。
それ以上の追撃を断念させる。
被雷後は浸水が徐々に拡大。
やがて機関が停止。
7時05分
『名取』は艦首から逆立ちするかのように暗い海へと沈んでいった。
宮城県の仙台に来ております。
今日は『艦これ』に登場してくるキャラクター『名取』の聖地巡礼なのです。
青葉神社。
同ゲームには重巡洋艦『青葉』って出てくるけど、『名取』の聖地です。
『名取と言います。ご迷惑をお掛けしないように、が、頑張ります!』
軽巡洋艦 名取
かつて日本帝国海軍の艦艇として実在した軍艦で、その名は宮城県を流れる名取川から付けられた。
1922年2月16日生まれの彼女は、長良型六人姉妹の三女。
大正時代に数多く建造された5500トン級の一人で長女『長良』『五十鈴』『名取』を含め、
妹達に『由良』『鬼怒』『阿武隈』と賑やかな家庭環境で育っている。
性格も至って控えめでやっぱり姉妹達により、上から下から圧力がかかる為であろうか?
解るよ、その苦労(血涙)
しかしながら、『名取』の完成当初は高速軽巡洋艦と言うこともあり、水雷戦隊の旗艦として
海を駆け回る。
建造当初、素早さが売りの彼女は金魚すくいが得意なのか夏祭りでしっかり健闘した様子が伺えます。
けれど、この夏グラ。
よく見てみると金魚以外にも、変な物を捕まえたようです。
深海棲艦?
この青葉神社の分霊を祀っていた軽巡洋艦『名取』ですが
名取の神様はあの戦国乱世に名を刻んだ伊達政宗と言うことになります!
かっけぇぜ!
恒例のイタ絵馬探し
あった!
描いてくれてありがとーっ( ≧∀≦)ノ
略艦歴
『て、敵艦見ゆ!・・・・って、ホントに実戦!?』
1941年4月
日米関係の決定的な決裂の要因となった南部仏印進駐作戦に参加。
12月10日
フィリピン諸島のアパリでB-17の攻撃を受け、至近弾により損傷し、多数の死傷者を出したが
12月22日のリンガエン湾上陸作戦に従事。
12月31日より第二次マレー部隊に編入された。
1942年3月1日
バタビア沖海戦にて米重巡洋艦『ヒューストン』撃沈に貢献。
3月10日
第2南遣艦隊第16戦隊の旗艦となり東インド方面の警戒任務を行った。
1943年1月9日
アンボンへ向かう途中、米潜水艦『トートグ』の雷撃を受け後部を損傷。
その際、名取は14cm砲でトートグの潜望鏡を破壊し撃退している。
名取はアンボンで修理を行うも、同月16日、21日にB-24の空襲を受け、至近弾により再び損傷を受けた。
度重なる攻撃と負傷のため、護衛されつつマカッサルへ後退するも、再来したトートグによる
攻撃を受ける。
この時も名取は14cm砲で水面を撃ちまくり、追い返している。
マカッサル、シンガポールを経由した名取は、舞鶴港へと帰還。
1年と3ヵ月の改造期間を経て改装し、2機の主砲と引き換えに
高角砲や対空機銃を増設。
修理と改装を終えた『名取』は訓練、輸送任務を遂行する。
1944年6月
マリアナ沖海戦にて、機動部隊の補給と護衛を行う。
8月8日
フィリピン諸島からパラオに輸送任務を行っていたところサマール島東方水域で
米潜水艦ハードへっどの雷撃を受け直撃弾を食らう。
『名取』は損傷直後にも関わらず発見した潜望鏡に対し、高角砲と機銃を即座に連射。
それ以上の追撃を断念させる。
被雷後は浸水が徐々に拡大。
やがて機関が停止。
7時05分
『名取』は艦首から逆立ちするかのように暗い海へと沈んでいった。
コメント 0