初代総理大臣ちに突撃訪問&陸奥記念館潜入捜査 [潜入捜査報告書]
全国の潜入捜査官の皆様こんにちは!
いよいよ『ゆきのうろうろ日記三冊目~地平線の彼方へ~』が本格的に始動しました!
前回はニューマシンに慣れる記事をアップしたけど、今回は潜入捜査報告だよ!
説明しよう!
潜入捜査とは日本各地のワンダースポットへこっそり忍び込み、知られざる内部状況を
調査する諜報活動的なアレだ!
小さい頃みんなやってたろ?自転車に乗って探検ごっこ。
大人に成った今でもやってます!これに乗って!
朝5時のまだ空気の冷たい時間からもう一人の潜入捜査官、海人くんをつれて山口県へと向かいます。
九州から本州への玄関口、関門海峡を渡ってお隣の県へ
高速道路でワープして山陽小野田で降りたけど、本当はライダーらしく誰もいない時間に秋吉台の
ワインディングを走りたかったけど、山陽自動車道と中国自動車道の分岐で間違っちゃったので
休憩を挟みながら今日の目的地へ向かうことになっちゃった( ̄□ ̄;)!!
先導がヘタレでスンマソ(qμ凵μ*)圉゙
高速を降りたらず~っと続く工場地帯を眺めながら、交通量の多い市街地を走ります。
市街地ってバイクに乗ってて一番退屈なんだよね(TwTlll)
スカイロードも一瞬で終わり、再びトラックと信号機地獄を掻い潜り・・・・
もう一軒の僕んちで休憩してく?
はいきましたぁ♪恒例のただいまシリーズ
自分ちとか言いながら、お巡りさんに肩をポンポンってされそうなくらい不審なオーラが漂ってるけど
気にしないでね(TwTlll)
窓からはやわらかな光が入ってきてついついウトウトしちゃうよね♪
でも、いい大人がここまで油断しきってはいけません
自分ち並にくつろいでるけど、ここは日本の初代総理大臣、伊藤博文のお家です!
どう?総理大臣のお家でここまでリラックスできるんだから、僕らも将来大物になるかもよ?
伊藤さんちには二階もあって大きな階段を登って探検してみよう
洋室もあれば和室もあるんだから、日本の建物って面白いよね?
『お初にお目にかかります旦那様。女中のゆきと申します』的な遊びもできるし
知的にもの思いにふけることもできるぜ
くだらねーダジャレしか考えてねぇけどな。
・・・・アルミ缶の上にあるみかん・・・・なんつって・・・・
さ、つぎいこっかつぎ!
初代総理大臣が何をした人かも良く勉強しないまま、くつろぐだけくつろいだら
ここからがメインだよ
山口県熊毛郡平生町にある阿多田交流館
外に置いてる回天はレプリカだけど、館内には実物の展示物が沢山あるんだって。
入館したわけじゃないんだけどね。
でも、僕らがこうやってバイクで遊んでるこの地、平生町は回天訓練の基地があった場所なんだって。
回天と言えば山口県大津島が有名だけど、訓練基地は他にも点々とあって、光基地、
大分県の大神基地があって、基地全体では約1万名兵隊さんが訓練していたそうです。
魚雷と思えば大きいし、人が乗るのであればあまりに狭すぎる漆黒の特攻兵器を後に
次に目指すは山口県大島郡周防大島町
元は離島だったのか橋一本でつながった島を海沿いに走り、ほとんど突端まで下りますよぉ♪
陸奥記念館
1918年6月1日に起工された戦艦で、自慢の40cm砲を搭載した艦は当時世界に7隻しかないことから
世界七大戦艦と呼ばれた一隻。
フォールドアンカーも驚きの8000トン超え!
皆さんの車の重さは何トンですか?
館内は撮影OKだけど、手紙や人の顔が映ったもの、名前入りの展示品は撮影NGだよ
ゲームや映画で見たことのある双眼鏡や
まだ、弾倉が入っている拳銃、征服、手紙なんかがあって僕にもうちょっと妄想力と読解力があれば
タイムスリップ間違いなしなスポットです。
就役 1921年10月24日 (もしくは11月22日)後は、同じ長門型戦艦『長門』おねぇさんと交代で
旗艦を務め、海を守り続けていましたが最後の日1943年6月8日、安芸灘に浮かぶ
桂島の沖合3kmあたりで訓練中に三番砲塔~四番砲塔付近から突然に煙を噴きあげて爆発、沈没。
乗員1,474人のうち、生き残ったのは353名だったという。
爆発事故の原因は諸説あるけれど、当時、戦艦大和、戦艦武蔵が極秘兵器であり、長門、陸奥は
国民的にも大人気な艦であったため終戦までこの事故は報道されなかったそうです。
戦わずして沈んでしまった戦艦陸奥。
終戦後、時を経て引き上げの作業風景
人と比べたらマンションか!?って思うほどの船体。
6階に仕切られ上部より3階は兵員室、艦艇から黒色火薬庫、木工場、工作科倉庫となっていて
この区画は兵員たちの生活の場となっていたところです。
こんな大きな鉄の要塞とも思える戦艦を1474名の若き優秀な青年たちが力と智恵で
動かしていたなんてすごいですよね!!
もっと深く深く勉強できる陸奥記念館ですが、時間もさしせまって来たので皆さんを野外展示場へ
ご案内しましょう
なんだか野外展示場って言うと中古車販売店みたいな響きだけど、もうちょこっとだけ当時の
日本の誇りに触れていきましょう
実際に沈没した場所からサルベージされた陸奥の副砲とスクリューです。
副砲って言ってもめっちゃデカいよ!
ナットなんて10tトラックに使ってるやろ!?って言うようなのが付いてるし、
装甲版なんて厚さが3cmほどあって、弾丸なんて受け付けないようなタフガイな作り!
黒くておっきいです!
散々なめまわすように副砲を眺めたらもう一件、この敷地内に気になる物があるのでそいつも
潜入捜査してみましょう。
潜入捜査局のスパイ衛星がとらえた機影。
それは不審な場所にぽつんと、確かに存在していた!
なんじゃこりゃぁぁぁ!!!
PS-1っていう飛行機らしい。・・・・ソニー製???
あやしい。
入りたい・・・・でも、鍵が閉まってて入れないことが判明Σ(゚Д゚;)
入れねぇんじゃしかたがねぇ。ってことで僕たちの潜入捜査報告はここまで(`・ω・´)キリッ
ここで、相棒の海人くんは離脱して僕は広島へと北上
途中、夜の錦帯橋をみて、広島県の玄関口、大竹市に宿をとり、隣の居酒屋で夕食
サーモンの炙りカルパッチョとビールでサルーテー♪
その後は広島と言えばお好み焼き♪
これだけじゃ足りず、長州地鶏の炭火焼と二杯目のビールでもっかいサルーテー♪
後はデザートのフレンチトーストアイス添えとイタリア直輸入のティラミス、コーヒーも付けて
締めと思うやろ―?
そこからのワニの手羽先を発見してオーダーヾ(≧∇≦*)/
あらかた満足したら大竹市の人と地元が江田島って人とでトークが盛り上がりそのまま閉店まで
アゴが忙しい時間を過ごさせていただきました(´∧ω∧`*)
ブンブン言わせてうろうろ歩き回って、飲んで食べて笑って♪
やっぱりいいですね♪旅♪
いよいよ『ゆきのうろうろ日記三冊目~地平線の彼方へ~』が本格的に始動しました!
前回はニューマシンに慣れる記事をアップしたけど、今回は潜入捜査報告だよ!
説明しよう!
潜入捜査とは日本各地のワンダースポットへこっそり忍び込み、知られざる内部状況を
調査する諜報活動的なアレだ!
小さい頃みんなやってたろ?自転車に乗って探検ごっこ。
大人に成った今でもやってます!これに乗って!
朝5時のまだ空気の冷たい時間からもう一人の潜入捜査官、海人くんをつれて山口県へと向かいます。
九州から本州への玄関口、関門海峡を渡ってお隣の県へ
高速道路でワープして山陽小野田で降りたけど、本当はライダーらしく誰もいない時間に秋吉台の
ワインディングを走りたかったけど、山陽自動車道と中国自動車道の分岐で間違っちゃったので
休憩を挟みながら今日の目的地へ向かうことになっちゃった( ̄□ ̄;)!!
先導がヘタレでスンマソ(qμ凵μ*)圉゙
高速を降りたらず~っと続く工場地帯を眺めながら、交通量の多い市街地を走ります。
市街地ってバイクに乗ってて一番退屈なんだよね(TwTlll)
スカイロードも一瞬で終わり、再びトラックと信号機地獄を掻い潜り・・・・
もう一軒の僕んちで休憩してく?
はいきましたぁ♪恒例のただいまシリーズ
自分ちとか言いながら、お巡りさんに肩をポンポンってされそうなくらい不審なオーラが漂ってるけど
気にしないでね(TwTlll)
窓からはやわらかな光が入ってきてついついウトウトしちゃうよね♪
でも、いい大人がここまで油断しきってはいけません
自分ち並にくつろいでるけど、ここは日本の初代総理大臣、伊藤博文のお家です!
どう?総理大臣のお家でここまでリラックスできるんだから、僕らも将来大物になるかもよ?
伊藤さんちには二階もあって大きな階段を登って探検してみよう
洋室もあれば和室もあるんだから、日本の建物って面白いよね?
『お初にお目にかかります旦那様。女中のゆきと申します』的な遊びもできるし
知的にもの思いにふけることもできるぜ
くだらねーダジャレしか考えてねぇけどな。
・・・・アルミ缶の上にあるみかん・・・・なんつって・・・・
さ、つぎいこっかつぎ!
初代総理大臣が何をした人かも良く勉強しないまま、くつろぐだけくつろいだら
ここからがメインだよ
山口県熊毛郡平生町にある阿多田交流館
外に置いてる回天はレプリカだけど、館内には実物の展示物が沢山あるんだって。
入館したわけじゃないんだけどね。
でも、僕らがこうやってバイクで遊んでるこの地、平生町は回天訓練の基地があった場所なんだって。
回天と言えば山口県大津島が有名だけど、訓練基地は他にも点々とあって、光基地、
大分県の大神基地があって、基地全体では約1万名兵隊さんが訓練していたそうです。
魚雷と思えば大きいし、人が乗るのであればあまりに狭すぎる漆黒の特攻兵器を後に
次に目指すは山口県大島郡周防大島町
元は離島だったのか橋一本でつながった島を海沿いに走り、ほとんど突端まで下りますよぉ♪
陸奥記念館
1918年6月1日に起工された戦艦で、自慢の40cm砲を搭載した艦は当時世界に7隻しかないことから
世界七大戦艦と呼ばれた一隻。
フォールドアンカーも驚きの8000トン超え!
皆さんの車の重さは何トンですか?
館内は撮影OKだけど、手紙や人の顔が映ったもの、名前入りの展示品は撮影NGだよ
ゲームや映画で見たことのある双眼鏡や
まだ、弾倉が入っている拳銃、征服、手紙なんかがあって僕にもうちょっと妄想力と読解力があれば
タイムスリップ間違いなしなスポットです。
就役 1921年10月24日 (もしくは11月22日)後は、同じ長門型戦艦『長門』おねぇさんと交代で
旗艦を務め、海を守り続けていましたが最後の日1943年6月8日、安芸灘に浮かぶ
桂島の沖合3kmあたりで訓練中に三番砲塔~四番砲塔付近から突然に煙を噴きあげて爆発、沈没。
乗員1,474人のうち、生き残ったのは353名だったという。
爆発事故の原因は諸説あるけれど、当時、戦艦大和、戦艦武蔵が極秘兵器であり、長門、陸奥は
国民的にも大人気な艦であったため終戦までこの事故は報道されなかったそうです。
戦わずして沈んでしまった戦艦陸奥。
終戦後、時を経て引き上げの作業風景
人と比べたらマンションか!?って思うほどの船体。
6階に仕切られ上部より3階は兵員室、艦艇から黒色火薬庫、木工場、工作科倉庫となっていて
この区画は兵員たちの生活の場となっていたところです。
こんな大きな鉄の要塞とも思える戦艦を1474名の若き優秀な青年たちが力と智恵で
動かしていたなんてすごいですよね!!
もっと深く深く勉強できる陸奥記念館ですが、時間もさしせまって来たので皆さんを野外展示場へ
ご案内しましょう
なんだか野外展示場って言うと中古車販売店みたいな響きだけど、もうちょこっとだけ当時の
日本の誇りに触れていきましょう
実際に沈没した場所からサルベージされた陸奥の副砲とスクリューです。
副砲って言ってもめっちゃデカいよ!
ナットなんて10tトラックに使ってるやろ!?って言うようなのが付いてるし、
装甲版なんて厚さが3cmほどあって、弾丸なんて受け付けないようなタフガイな作り!
黒くておっきいです!
散々なめまわすように副砲を眺めたらもう一件、この敷地内に気になる物があるのでそいつも
潜入捜査してみましょう。
潜入捜査局のスパイ衛星がとらえた機影。
それは不審な場所にぽつんと、確かに存在していた!
なんじゃこりゃぁぁぁ!!!
PS-1っていう飛行機らしい。・・・・ソニー製???
あやしい。
入りたい・・・・でも、鍵が閉まってて入れないことが判明Σ(゚Д゚;)
入れねぇんじゃしかたがねぇ。ってことで僕たちの潜入捜査報告はここまで(`・ω・´)キリッ
ここで、相棒の海人くんは離脱して僕は広島へと北上
途中、夜の錦帯橋をみて、広島県の玄関口、大竹市に宿をとり、隣の居酒屋で夕食
サーモンの炙りカルパッチョとビールでサルーテー♪
その後は広島と言えばお好み焼き♪
これだけじゃ足りず、長州地鶏の炭火焼と二杯目のビールでもっかいサルーテー♪
後はデザートのフレンチトーストアイス添えとイタリア直輸入のティラミス、コーヒーも付けて
締めと思うやろ―?
そこからのワニの手羽先を発見してオーダーヾ(≧∇≦*)/
あらかた満足したら大竹市の人と地元が江田島って人とでトークが盛り上がりそのまま閉店まで
アゴが忙しい時間を過ごさせていただきました(´∧ω∧`*)
ブンブン言わせてうろうろ歩き回って、飲んで食べて笑って♪
やっぱりいいですね♪旅♪
2015-12-03 17:14
nice!(12)
コメント(1)
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今日は、訪問頂き有難う御座いました。
潜入捜査ツーお疲れ様です。
拝見いたしまして懐かしく感じ、再度訪れたい場所の一つです。
by 影風響 (2015-12-11 12:38)