艦これ 熊野 聖地巡礼 [聖地巡礼]

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駐車場で寝ている間に年が明けて、2017年になってしまいました( ゚Д゚)

カ・・・・カウントダウン楽しみだったのに(இдஇ; )

泣いても笑っても新しい年はやってくる!

初詣に『艦これ』熊野の聖地巡礼!!

熊野本宮大社

贅沢じゃないですか∩(´∀`∩)∩( ´∀` )∩(∩´∀`)∩

それでは、いつもの様に神社と実在した軍艦熊野。そしてゲームでの重巡熊野にスポットライトを

当てていきましょう(*ゝωб*)b




まず熊野本宮大社に着いて驚くのがコレ!
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日本一の大鳥居『大斎原』(おおゆのはら)

ここにかつての熊野本宮大社があり、江戸時代まで参拝者は歩いて川を渡りお参りするのが

しきたりでした。

川へ入ることがお浄めの意味だったんだろうね。

明治時代の水害で社殿の多くが流され、現在の位置に遷座されました。

なので、大斎原(おおゆのはら)も神聖なパワースポットなのですよ。




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初詣と聖地巡礼もかねて巡って行きましょう。

本殿へ繋がる石段の両脇には杉林があり、参拝者を悠久の時へと誘います。

熊野本宮大社の創建は今から2000年前。

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『伊勢へ七度、熊野へ三度』と言われる程、人々の信仰を集め

昔の天皇から一般庶民まで階級問わずお参りが出来たそうです。

さすが正月!
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帰りに破魔矢を買ってこー(#^.^#)
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やっぱ初詣っていったらコレだよねぇ(´∧ω∧`*)
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めちゃくちゃあたたかくて、しばらくここから動きませんでしたヾ(-`ω´-o)ゝ。+゚

あぁ甘酒のみてぇ。

神門もお正月仕様で豪華になってます!
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門を潜れば檜皮葺の立派な社殿が現れます
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向かって左手の社殿が夫須美大神(ふすみのおおかみ)速玉大神(はやたまのおおかみ)の両神。

中央は主神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)

そして右手は私たちの総氏神、天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られています。




御利益は

交通安全ね、豊漁ゲットだぜ、家庭円満、夫婦が仲良くするよ、長生きさせるぜ

の4種類。

でも、神様だからきっとなんでもお願いを聞いてくれるはず(´∧ω∧`*)




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こっちは祭殿かな?

このポストは社務所で八咫烏ポスト絵馬を買って郵送先にメッセージを書くと

熊野本宮大社のスタンプが押されて届くんだって!
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ちなみに、八咫烏の八咫は大きく広いという意味なのだそうです。

八咫烏は太陽の化身で熊野本宮大社の主神、家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)のお仕えで

日本を統一した神武天皇を大和(奈良)の橿原(かしはら)へ導いたという神武東征の故事に習い、

導きの神として篤い信仰があります。

三本の足の意味は、天(神)地(大地、自然)人(私たち人間)を意味し

太陽のもとに、私たち人間は自然や神様から血を分けてもらった存在というものを示しています。

今年一年の神様からのお告げはこちら!
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良い事あるといいなぁ∩(´∀`∩)∩( ´∀` )∩(∩´∀`)∩

最期は可愛い巫女さんから破魔矢をもらって、冷え切った体を温めに行くよ(´∧ω∧`*)
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お正月限定で夜中までやってるんだろうね!

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カフェラテとくまみつカステラをいただきました♪ヽ(*´∀`)ノ

他にも沢山のお土産があるので記念に買って帰るといいと思うよ!




さて、最後になったけど、ゲームでの熊野と史実の重巡洋艦である熊野をご紹介。

ぶっちゃけ・・・・なっげぇぇぞぉ(סיםיס)!!


重巡洋艦・熊野

誕生日:1936年10月15日

出身:神戸(川崎重工神戸造船所)

神戸生まれのオシャレな重巡と言えば・・・・

『とぉぉ↑おう↓』
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『ごきげんよう、わたくしが重巡、熊野ですわ!』

最上、三隈、鈴谷の姉を持つ末娘『熊野』

姉の最上、三隈と少しだけ構造が違う事から最上型と一括りにされることもあれば、

最上型、鈴谷型とわけられることもあります。

ゲームでも鈴谷と熊野の制服はブラウンを基調としたブレザーで同じものになっています。



性格はやっぱりオシャレなお嬢様

入渠はお風呂もいいけれど、やっぱり全身エステフルコース!

ランチは昭和の時代には珍しかったであろうサンドイッチと上流階級の香り漂う熊野さん。

もちろんお洋服にもこだわりがあります!

『あまり下品な兵装は嫌よ?』

と、提督が装備欄を戦闘糧食のおにぎりで満たそうとすると、拒否られます。
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ホントは好きなくせにぃヾ(-`ω´-o)ゝ。+゚

時々食べながらお話をするというちょっぴりはしたない癖もある所はご愛嬌

食欲には勝てなかったんだな・・・・




ここからは重巡洋艦『熊野』の有名な実話を熊野の長い航海と題してご紹介!




時は太平洋戦争末期の1944年10月23日

日本、アメリカとオーストラリア連合軍による海戦が始まった。

後に史上最大の海戦と呼ばれるレイテ沖海戦だ。

フィリピン及びその周辺海域で行われたこの戦いは、アメリカ軍の進攻を阻止すべく

日本海軍は大量の戦力を投入した。

もちろんアメリカ、オーストラリア側もレイテ島奪還の為、持ちうる海軍力の大半を

この海域に集結させた。

力と力がぶつかり合う渦中に本日のヒロイン『熊野』も奮戦していた・・・・
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(写真は同型艦 鈴谷)



10月25日午前7時18分

レイテ島へと猛進する熊野の前に敵護衛空母部隊が現れた!!

狙うは敵空母!

一捻りで黙らせてやりますわ!砲雷撃戦!撃てぇぇっ!!

熊野は米護衛空母へ一直線に突進していく。

敵艦隊は煙幕を張り回避行動を行うと同時にアベンジャー雷撃機を繰り出し、銃爆撃を開始する。

標的へと一気に距離を詰める熊野。すると突然、煙幕の切れ間から

駆逐艦ジョンストンが見えた!!

その刹那
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10本放たれた魚雷が微かな雷跡を引きながら熊野に迫り、1本が艦首に命中!

この1発が後々熊野を苦しめる事になる。





わたくしが被弾なんて・・・・ありえませんわ

艦首の破損により速力が出ず艦隊から落伍。コロン湾への退避を始める。

速力12ノット・・・・これではレイテ突入なんてできませんわ・・・・。

同日正午頃

飛行機の音?

あれは、見方機の瑞雲ですわ!きっと護衛が来て下さったのよ!おぉぉい!

返事の代わりに瑞雲からは強烈な攻撃が熊野に返ってきた。

きゃぁっ! な、何をするんですの!?

この頃、近隣の海域では敵艦と誤認した見方機が攻撃を仕掛けてくることが多々あった。




17時15分
サンベルナルジノ海峡で艦載機の攻撃を受ける。

至近弾・・・・左舷缶室に浸水・・・・でも、まだ何とか動けますわ!




10月26日午前8時10分

敵機接近!!対空戦闘っ!

熊野の対空機銃が火を噴くが、陽の光を背に受けた急降下爆撃機が1発、

また1発と爆弾を投下していく。

艦橋左舷に被弾!

煙突付近に3発命中!

右舷缶室にも被害が

!速力は・・・・2ノット!!

くぅぅっ。何とか敵機は追い払えたものの機銃が全滅。

立っているのがやっと・・・・絶体絶命ですわ。

今頃敵はわたくしの事を沈んだものとお思いでしょうね・・・・。

水上電探に反応!?艦影2。こちらに向かってきてますわ!

このタイミングで!?

とうとう年貢の納め時ですわ。でも、重巡熊野!タダではやられませんわっ!



この時、同じく撤退を余儀なくされた第二遊撃部隊の志摩提督は熊野の危機を知り

掌握する4艦の内、重巡洋艦『足柄』と駆逐艦『霞』を熊野の救援に向かわせたのだった。

窮地を脱した熊野は応急修理により10ノットまで出せるように回復、途中3度の空襲を受けながらも

足柄、霞の活躍と回避行動を繰り返すことで被害を受けずにコロンへ向かった。

同日18時30分

どうにかコロン湾に到着しましたわ・・・・

あら、足柄さん。あそこにお姉さんの那智さんが入港していますわよ。

先の戦いで負傷しているようですわ。

駆逐艦の沖波さんもわたくしの護衛の為、駆けつけてくれたのですね。

燃料補給も終えて、何とか一息つけそうですわ。

次の命令?

マニラを経て日本本土で大規模修理。

レイテ沖海戦はわたくしたちの惨敗。護衛艦なんて出せない状況下での本土帰還・・・・。

内地に帰る方法を何とか工面するしかありませんわね。なんとか・・・・。


10月27日5時頃
単艦にてコロン湾を出港。

コロンの横の西水道・・・・ここはとても狭くて回避運動にはむかない所ですわ。

月が沈む前にこの海域を突破しないと、敵がどこに潜んでいるかわからなくなってしまいますわ!

行きますわよ!沖波さん!

マニラには特務艦の『隠戸』さんがいらっしゃいましたわね。

早く修理して頂きたいですわ。



10月28日7時30分

マニラ到着。

沖波さん。わたくしをここまで守ってくださってありがとう。

『隠戸』による艦首、機関部の応急処置を受けた熊野



10月29日
空を揺るがす轟音が彼方から聞こえてきた。

黒い雲がこちらに向かってやってくる。

生者の魂を刈る大きな鎌を担いで。

290機余の大編隊を組んだアメリカ軍機がマニラを空襲。

熊野、青葉、那智の重巡洋艦は直ちに対空戦闘を開始した。

おちおち入院もできませんわね!何度も何度も煩い蝿のようですわ!

それにしても、こんなにも航空機との近接戦闘が続くなんて。

機銃弾の残りも怪しくなってきましたわね。


11月1日
「熊野は青葉とともに適当なる護衛艦を付し、または適宜の船団に加入の上内地に回航すべし。」

ん~まっ!!なんて適当な命令ですの!?言われなくったって、絶対日本に帰りますわよっ!!!

このままマニラに居てもやがて連合軍がここを占領しにやってきますわ。



11月4日
速力18ノット可能。

最大速度の半分くらいのスピードしか出せませんけれど、しかたないですわね

運の良い事に他の船団がやってきましたわ♪

わたくしと青葉を船団に混ぜてくださいまし!

え?明日出航?青葉、早く出発の準備を!わたくしも急がなくちゃ!!

ところで青葉さん?あなた、レイテ突入前に負傷してマニラでお留守番をされてましたわよねぇ?

恥を忍んでお頼みしますけれど、わたくしに機銃弾を少し分けて下さらないかしら?


11月5日1時00分
重巡青葉と共にマニラを出港、マタ31船団と合同。

皆さん、おはようございます。船団の指揮はわたくし、重巡熊野が承りましてよ。

速力は8ノットでマニラ西岸のギリギリを沿って北上しますわ。付いていらっしゃい。


18時30分
ルソン島のサンタクルーズに到着。

気味が悪いくらい穏やかな航海でしたわね。

今夜はこのサンタクルーズで一泊して体を休めましょう。

出航は明日の朝。

ここからは、魔のバシー海峡を進みますわ。

魔のバシー海峡・・・・またの名を輸送船の墓場・・・・日本の将兵10万の魂が眠る海峡。

奇しくもわたくしたちと合流したのは輸送船団。

絶対に。絶対にここを突破して約束の地に帰りますわ!



11月6日7時00分
サンタクルーズを出港。

皆さん!ここからは御存じの通り、魔のバシー海峡ですわ!でも、あわてないで!

このままルソン島西岸のギリギリを北上しますわよ!

そうすれば沖に向いた左舷だけの対潜警戒をしていれば、なんとかこの海峡を脱出できますわ!

岸沿いでも水深が深い海峡なので、絶対に岸から離れないで下さいまし!!

おそらく敵はこの海峡で撤退するわたくしたちを狙って網を張っているはず。

仕掛けてくるならココですわ。

駆潜艇第二三号を先頭に!!

左舷を残り4隻の駆潜艇で警戒してくださいましっ!!

輸送船のみなさんは中央へ!

右舷はわたくしと青葉が警戒に当たりますわ!!


9時20分
左舷中部から正横約100 m海面に大爆音とともに巨大な水柱が上がった。

間髪入れず右後方約3000 mの陸岸に水柱が上がる。

雷撃ですわっ!!(ギターロより)

各艦、対潜戦闘!!爆雷投下用意!!

いい?絶対に岸から離れないで!

敵はどこ!?何隻ですの!?



船団はリンガエン湾西方でアメリカ軍の潜水艦ブリーム・ギターロ・レイトン・レイの4隻の

攻撃を受けた。


9時55分
あれは!潜望鏡(ブリーム)ですわ!

左舷より雷跡4!!

取り舵で回避っ!!

くっ!早く岸側に戻って!


10時40分
青葉!あなたも狙われてますわよ!あなたの目の前に潜望鏡が!


10時42分
潜望鏡!(レイトン)、左舷より雷跡6!!

取舵で回避ですわ!、爆雷投下!これでも食らいなさい!



10時48分
右舷至近距離で魚雷4本接近!?(レイより)

しまった!回り込まれましたの!?

避けきれない!


レイの放った魚雷はレイテで損傷した艦首を再度吹き飛ばし、もう1本は右舷機械室附近に命中

右舷のバルジに幅5m、長さ10mの破孔が生じ1番機械室と隔壁を破壊

2番、3番、4番機械室すべてに浸水し熊野は航行不能に陥る。

やがて傾き始める熊野。


一方、熊野へ向けて4発の魚雷を発射したレイは潜航退避。

1時間後に浮上するとそこには停止した熊野とタンカーの姿があった。

止めを刺そうとするレイであったが、海中の峰に座礁し、浸水。

運よく生きながらえた熊野であったが、完全に機関を停止してしまった彼女が出来ることは

各所で進行する浸水を食い止め少しでも生きながらえる事だった。



11時00分
青葉は『われ曳航能力なし』と信号し、船団に続行した。

青葉乗組員は帽子を振って別れを告げたという。


青葉・・・・悔しいけれど、あなただけでも無事内地に帰れると、わたくしも本望ですわ。

けれど、『お先に失礼』は余計ですわよ・・・・。


航行不能に追い詰められた熊野の側には貨物船の道了丸(日本郵船、2,274トン)と

400トン程度の駆潜艇2隻が残された。



11時30分
右傾斜8度に減少。

道了丸さん。無理を承知でお願いします。わたくしをどこか近くの港まで曳航(えいこう)して

くださるかしら?わたくしはなんとしてでも日本に帰らなくてはなりませんの。

どうかおねがい。

しかし、道了丸には聞き入れられない打診だった。

なぜなら、浸水した熊野との重量差は1万トン以上。

引っ張るなんて無理だ。


午後になり道了丸に再度打診し、リンガエン湾まで曳航することとなる。


14時25分
応急処置に成功、右傾斜11度で安定。

曳航作業進まず。

18時30分
右傾斜4度。

20時00分
道了丸による曳航成功。


11月7日7時00分
向い潮により道了丸による曳航前進困難、苦労しながらサンタクルーズへ向かう。

速力1.5ノット。まるで子供が歩く速度ですわね・・・・。

歩く速度・・・・か・・・・。もう一度見たいですわね。神戸の夜景。春の桜。

最上、三隈、鈴谷・・・・あなたたちが浮かべるその笑顔が。

16時20分
サンタクルーズ到着。

艦首部喪失のため、後甲板に搭載していた1.5トン錨を艦尾から投入して固定。


11月8日
道了丸、サンフェルナンドへ向け出港。

有難う道了丸。わたくし、命は欲しくありませんの。悔いなく戦えれば・・・・

それで誰かが悲しむ結果になっても。

けれど、いつか。いつの日にか時間がその人を優しく癒してくれますわ。

だから、今だけはどんなに惨めな姿になっても日本に帰らなくてはなりませんの。


第21掃海艇はサンタクルーズ到着、熊野警戒任務に就く。

11月9日
台風による暴風雨で走錨、座礁の危機があったが代用錨と掃海艇の協力により、急場をしのぐ。

きゃぁぁぁっ!!

そのロープ!しっかり持っててくださいまし!!

このままでは風に流されて座礁してしまいますわ!!!

台風の上陸で暴風雨に煽られる熊野。

艦首喪失の為、5.5トンの錨2つを失い、熊野の警備を任ぜられた掃海艇にロープを渡していたが

掃海艇もろとも走錨。

運よくホーズパイプに結んでいたロープが海底に引っ掛かり難を逃れることが出来た。

な・・・・なんとか台風をやり過ごすことが出来ましたわ。

少し沖に流されてしまいましたけれど、座礁せずにすみましたわ。


復水器の破損や蒸気漏れのため台湾(高雄)到着までに必要な真水500tが不足、

ドラム缶を使い川から真水を毎日30tずつ運ぶ。

一般家庭の浴槽にたまる水が200Lですから30tですと毎日150杯ぶんの水を運ぶことになりますわ。

ホントに!?計算、合ってますわよね!?


艦首部をはじめ、損傷箇所の補強・応急修理を行う。

11月12日
駆潜艇20号と救難艦慶州丸が到着。

慶州丸さんのおかげで機関の修復に期待が持てそうですわよ!

11月16日
掃海艇21号より真水の補給を受ける。

マニラ停泊中の特設掃海艇第21長運丸(長崎合同汽船、195トン)に、

熊野の警護を行うよう命令が下った。

11月17日
掃海艇21号より真水の補給を受け、重油を移載。同艦はマニラに向かう。

第21長運丸、サンタクルーズ到着。

警戒艇は第21長運丸に交代する。

11月19日
敵機来襲!!対空戦闘!!撃てぇぇっ!

F6Fヘルキャット!

何処が地獄のねこちゃんなんですのっ!この性悪女!

19日ごろから艦載機F6Fからの空襲が被害を出すようになる。

敵からは機銃掃射がある程度だったが、戦死者が増加。

熊野の弾薬はこのころから底を突き始める。



11月21日
速力6ノット発揮可能になる。

11月22日
機帆船による補給。機銃弾4500発と応急資材、糧食、軽油等の補給を受け修理と補給が

着々と進む熊野。

11月25日7時00分
空襲警報発令!

F6F十数機が来襲、警戒艇第21長運丸を攻撃して炎上させる。

9時00分
アメリカ軍機約90機が来襲、八十島以下4隻を攻撃する。

船団は全滅し、便乗していた熊野戦傷者全員戦死。

12時10分
長運丸が爆沈。

25日の一連の戦闘で熊野には被害が出なかったが、これまでの対空戦闘で残弾が約3000発となる。

対空機銃1門当たりに80発の弾・・・・これではあと1回の悪あがきしかできませんわ・・・・

14時30分
米空母タイコンデロガの艦載機

(F6Fヘルキャット8、SB2Cヘルダイバー13、TBFアベンジャー9、計30機)の空襲が始まる。

海防艦八十島を沈めた艦載機の一部が熊野にも襲い掛かる。

何が何でもわたくしを日本に帰さないつもりですわね・・・・

仕方ないですわ!!これが最後の戦いよ!

あなたたちを道ずれに、わたくしは、わたくしの大切なものをまもるっ!!




これまで幾度となく轟沈の危機を迎えては、死の淵から這い上がって来た不屈の熊野にも、

いよいよ最後の時がやって来た。




長い航海.jpg
14時40分
サンタクルーズ沖

傷ついた熊野は回避行動もままならないまま、高速で乱舞する敵機を相手に対空戦闘を展開する。

が、瞬く間に艦橋後部に1発。続いて艦橋後部右舷に2発の魚雷が炸裂。

っあぁぁっ!

一門、また一門と弾薬不足により沈黙していく砲門。

一番砲塔左舷横と飛行甲板左舷にも1本ずつ命中。

二番砲塔左舷に爆弾命中。

傾斜が増し、左舷へ転覆する。

沢山の人に助けられてここまで来ましたけれど・・・・ここで終わりのようですわね・・・・。

最上、三隈、鈴谷。

もうすぐわたくしもそちらに参りますわ。

そちらにも平和な海が広がっていると、うれしいですわね・・・・

15時15分
艦長以下400名と共に熊野はその生涯を終えた。









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コメント 1

saia

あービックリしたあー。
この熊野本宮大社の記事と写真、今年の新年が明ける時のことですよね!?
と言いつつも、今年もカレンダーが後2枚になろうとしていることに気がついて、愕然・・・
早いっΣ(・ω・ノ)ノ!

by saia (2017-10-28 16:08) 

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